でんでんむしのかなしみ 新美南吉
でんでんむしのかなしみ」は作家新美南吉による児童文学作品です。
新美南吉は愛知県半田市で生まれ育ちました
創作童話として1935年(昭和10年)に発表されて以降、広く親しまれてきました。
この作品に注目が集まったのは1998年。
上皇后美智子さまがインドのニューデリーで行われた国際児童図書評議会の基調講演でこの「でんでんむしのかなしみ」について触れたのです。
【基調講演抜粋 橋をかけるー子供時代の思い出ー】
まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。
不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。
そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。
友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。
小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも返ってくる答えは同じでした。
そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。
自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。
この話は、このでんでん虫がもう嘆くのをやめたところで終わっています。
あの頃、私は幾つくらいだったのでしょう。
母や、母の父である祖父、叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは、私が小学校の二年くらいまででしたから、四歳から七歳くらまでの間であったと思います。
その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。
最後になげくのをやめた、と知った時、簡単に「ああよかった」と思いました。
それだけのことで、特にこの事につき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。
しかし、この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に蘇って来ました。
殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。
少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。
生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安を感じることもありました。
それでも、私はこの話が決して嫌いではありませんでした。
四季の美より
美智子上皇后様の心を支えたひとつとして
でんでんむしのかなしみがあります。
「私は私の悲しみを堪えて生きていかなければならない」
誰でもきっと
背中の殻に悲しみをいっぱいつめこんで生きているのだと思います
私の背中にも殻いっぱいに詰め込んだ悲しみがあります
堪えて、それが与えられた運命だと
生きるってそういうことなんだと
思いながらも
殻が軽くなることにも出会えて
その小さな喜びの中生きていけたら幸せです
大人の私達も心に沁みる絵本ですね
愛知県半田市に新美南吉記念館があります
子供達を連れて何度か行きました
「ごんぎつね」も小学生の教科書に載っています
また訪ねてみたいと思います。